「愛のムチ」という言葉あるじゃないですか。会社でもよく使われますよね。部下を厳しく叱りつけるときとかに。
「俺も怒りたくて怒ってるわけじゃないんだぞ!お前のことを思っているからこその愛のムチだ!」みたいにね。
前から思ってたんですが、これって都合のいいセリフだと思いませんか?
相手の為だからと言って、暴言を吐いていい理由にはなりません。ましてや暴力なんてもってのほか。
結局これって暴言や暴力を「愛のムチ」という言葉に代えて、自分を正当化してるだけですよね。単にイラっとした感情をぶつけてるだけで、決して「お前のため」だなんて思っていません。
怒りのままに責め立てては伝わるものも伝わりません。怒鳴り散らすのは明らかに間違ってる。
本当に本人の為を思っているのなら、相手に伝わりやすい別の方法をもっと考えるべきでしょ。
あなたのまわりにも暴力・暴言を「愛のムチだ」と言って正当化する上司はいませんか?
もしいるなら、そのような上司は相手にしない方がいい。そいつはあたなを怒りのはけ口にしているだけのクソ野郎です。決して「一生懸命に叱ってくれてる」なんて絶対に思っちゃダメですよ。
暴力を振るったり暴言を吐く上司は無能です!
まず前提にあるのが暴力・暴言はただのパワハラだということ。決して『教育』などではありません。
どんな理由があろうとも、殴る、蹴るといった体罰を正当化する上司を信じてはいけない。上司だと思う必要すらない。そんな奴を信用してたらロクな目にあわないですよ。
そもそも部下を怒鳴ったり手を出したりする上司って無能なんです。無能だからこそ言葉よりも先に手が出るんです。
奴らは人に物を教えることもできない低能のくせに、仕事の上下関係を利用して一方的に罵ってくるだけの存在にすぎません。そんな奴らが「これも教育だ」なんて言うんだから、ちゃんちゃらおかしいです。
人を殴っといて「お前の為だ」なんて言葉を吐く奴は絶対に信用してはいけません。「愛のムチだ」なんてことをいうクズはこの世から根絶させた方がいい。
言語化できない能力の低さを暴力でゴマかしてるだけ
『教育』という言葉を調べてみると次のようなことが書いてある。
教育を受ける人の知識を増やしたり、技能を身につけさせたり、人間性を養ったりしつつ、その人が持つ能力を引き出そうとすることである。
引用:Wikipedia
人を教育するのに体罰は必要ですか?
殴って、怒鳴って、無理やりやらせないと、人の能力って引き出せないんですか?
絶対に違いますよね。実際、逆の立場で考えてくださいよ。仮にあなたが人に物事を教えようとするとき、その人にどのような態度で接しようとします?
真剣に考えれば考えるほど
- できるだけ簡単な言葉で
- 分りやすい手順で
- レベルに合わせた内容で
どのようにしたら相手が理解しやすいかを考えるはずです。
もし理解されなかったとしても、もっと分りやすい言葉を使ったり、もっと簡単な内容から説明したり、他の教え方はないかと考えませんか?
「どうにかして相手に理解させたい」と考えれば考えるほど、論理的な教え方をしようとするはずです。暴力や暴言で教えようという選択肢は出てこないでしょう?
結局、暴力を振るったり、暴言を吐く人間というのは、人として未熟なんですよね。理性より感情が出るんですよ。思い通りにいかないときに癇癪(かんしゃく)を起こす子どもと一緒です。
「言葉で相手に理解させる能力」が圧倒的に欠けてる。だから手っ取り早い暴力や暴言という「圧力で相手を規制する方法」に頼るわけです。『教育』より『強制』の方が簡単だから。
そんな奴を上司としてのさばらせている会社も最悪です。組織として致命的。
人に教える能力がない奴が人の上に立ってるんですからね。しかも会社がそれを容認しているとなると救いようがない。
そんな職場で働いていてもロクなことにならないでしょうね。悲惨な未来になることが目に見えている。
愛のムチがなくても部下は教育できる
暴力を受けてきた人間は「俺も上司から殴られてきたからこそ今があるんだ」みたいなセリフを吐きます。成長できたのは厳しく育てられてきたからだ、と。
確かにそうなのかもしれませんけど、でもそれって暴力が無ければできなかった事ですかね?今まで教えられたことは殴られたり蹴られたりしなければ分からなかったことですか?
暴力を振るうのは”無理やり言うことを聞かせたいから”です。「ずべこべ言わずに黙って俺の言う通りにしろ!」と言いたいわけです。
それでも一定の結果はでるのかもしれません。仕事をサボらなくなるので売上につながるのかもしれない。
でもそれって教育と言えますか?
一見「成長している」ように見えるかもしれませんよ?でもそれって本人は全然成長してないですよ。無理矢理やらされただけなんだから。
本当の成長を望むのなら”規制”ではなく”理解”によって行動を促さなければいけません。暴力による強制はその場しのぎでしかない。
「殴られたから成長できた」というのは勘違いです。とりあえずプラスにはなったから成長できたと思っているだけ。
正しく指導すれば10の結果が得られたところを、間違った教育によって3しか得られなかたったようなものです。教育法の間違いによって、実は7損しているわけです。
「上司から殴られてきたから成長できた」という昔話は信用してはいけません。ただの思い出補正で過去を美化してるだけです。
愛のムチは逆に人の成長を邪魔している
世の中にはいろんな人がいるので、理不尽な扱いを受けた方が伸びる人もいるかもしれない。反抗精神をバネに結果を出す人もいるでしょう。
でもそんな人はレアケースです。そんな少数派の人間に照準を定めた教育をしようとする上司はバカです。非効率極まりない。
ほとんどの人は殴られたらヘコむだけ。仕事を頑張ろうとは思わないですよ。
愛のムチは人の成長を促すところが阻害するんです。それがバカ上司には分かってない。
ビビらせたところで委縮して能力が発揮できない
例えば、あなたが仕事でミスをしたとします。そして上司から怒鳴り散らされたとしますよね。
怒鳴られた後、あなたはどういう気持ちで仕事をするでしょう?
- ミスした俺が悪かった。同じミスを繰り返さないために対策を練ろう
- ミスしたら怒られる。怒られないように仕事しよう
おそらく後者じゃないでしょうか。
普通の人間はドン詰されるとビビります。鉄拳制裁が加わるなら尚更です。すると向上心より恐怖心の方が勝ってしまうんですよね。
その結果「より良い仕事をしよう」という気持ちより「怒られたくない」という気持ちの方が強く働く。そして消極的になってしまうんです。
そうなった人間はできるだけ目立たないように働こうとします。自分の意見を言わなくなり業務も受動的になる。言われたことだけやって、率先して仕事をしようとしなくなります。
そんな人間が成長できますか?
ビビらせたらミスは無くなるかもしれない。でもその代わりに指示がないと動けない指示待ち人間を作ってしまいます。
暴力は暴言は人を委縮させます。本来の能力も発揮できないし成長もできません。
恐怖で支配しても規制されるだけで成長はしない
恐怖心による規制のタチの悪いところは、少しの結果は出せるところにあります。
ビビった人間はサボらないし、とりあえず言われたことだけはするので、それが結果につながってしまう。
これって本当に悪循環でしてね。まったくのゼロだったものが1になれば、バカ上司はそれで勘違いします。「俺の教育が正しかった」と。
そして恐怖による支配を続けるようになる。そうなると組織としての成長も望めません。
規制ばかりの職場では自主的に行動する人間がいなくなります。言われたことだけしかしない人間を大量生産してしまう。
だって怒られたくないですからね。下手に自分の考えを出して怒鳴られたらたまらないので、そりゃ言われたことしかやらないですよ。
言われたことだけしかしない人間が大きな成果を出すなんてことはありません。結果的に組織としての成長を止めてるんです。
バカ上司は小さな成果で「俺が正しかった」と満足してるかもしれませんが、2にも3にもなったかもしれない成果を1どまりにしているだけなんです。
それに規制されて成果を出していた人間というのは規制されなくなったら仕事しなくなります。
当たり前です。今まで無理矢理やらされていただけで、自分の判断で動いていたわけじゃないんですから。
人としての成長も、組織としての成長も止めてしまう暴力上司はマジで無能です。会社の癌といっても過言じゃない。
暴力・暴言を正当化する上司の言うことなんて聞くな!
「愛のムチ」なんて言葉は詭弁です。クソ上司にとって都合のいい言葉でしかない。
人の成長を止め、仕事の効率を悪くし、良い事なんて一つもない。そのくせ当の本人は「厳しくしてるおかげで成果が出てる」と思ってるんですからね。マジ救いようがない。
あなたも「愛のムチだ」なんて言って、暴力・暴言を正当化する上司を信用してはいけないですよ。奴らは自己満足の塊。本当に相手のことを考えて行動しているわけではありません。
無能だからこそ怒鳴ることしかできないクズです。そんな奴が上司としてのさばっている会社だったら転職を考えた方がいいかもしれません。
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